このお話は実際に起こり、また今後も起こるだろうと予想される体験です。ただしこの体験では実害自体はなく、あくまでも総合的情報から「場合によっては襲われただろう」と推測するしかない「未遂事件」でした。
もし、今後豪州旅行をされる方の参考になればと思います。
すでに季節は冬から春に変わろうとしている豪州中部、私はアリススプリングスから北に22キロのタナミ・トラック入り口をくぐり、タナミ砂漠を通って西海岸へ出ようとしていました。一日目は何事もなく、道路脇の薮の中に野宿しました。二日目、中継地点のラビットフラット(なんと砂漠の一軒家)を通過し、日も暮れかかったところでそろそろ野宿の用意かなと思って走っていると、クレーターへ向かう脇道から、上半身裸の真っ黒に日焼けした男が出てきたではありませんか。
最初アボリジニかと思ったその男は、以前東海岸で出会ったチャリタカでした。彼は若干19歳で自転車を担いで日本から来た自転車野郎です。旅のうわさに聞いてはいたのですが、私と逆に西海岸側から自転車で砂漠横断に挑戦したのだそうです。彼も一日走って疲れており、彼の勧めで一緒に野宿することになりました。
ただし豪州での野宿には問題があって、アボリジニに襲われることがあるので道端にテントを張ってはいけないのですが、彼はめんどくさがって道端に張ろうと主張するのです。警察が勧める野宿は、まず路線上の休憩エリアであれば車から出てテントに宿泊すること、もし休憩エリアがなければブッシュの奥にテントを張ること、ブッシュがまわりにないときは、道路からなるべく離れて野宿することなどです。
すでに恐い目に会っている人から聞いており(その後他の人からも体験談を聞き)私は路肩での野宿に反対したのですが、彼の熱心な説得と、結局私自身は一度も遭遇していないことやテント設営や食事の準備を考えて、ついに折れてしまったのです。この判断がが結果としていやな夜を迎える原因になるとは、その時の二人には知る由もありませんでした。
その夜は旅行談義に花が咲き、すぐ近くのブッシュ・ファイア(野火)を見ながら夜9時ぐらいまで話しをしました。時間から判断するに、その車が来たのは11時過ぎでしょうか。砂漠の夜は静かで、その車のエンジン音であっさりと目が覚めます。というより、あまりにテントのそばまで車を近づけて止めたので、眠り続けることができなかったのです。彼らはすぐにエンジンを止め、雑談をはじめました。砂漠の出口まで170Km、内陸まで800Kmはあります。もし警察の車なら我々をテントから出して「ブッシュの奥に張れ」と指導するでしょう。もっとも警察は、事件もないのにこんな未舗装の砂漠の中など派遣されることはないのですが。彼らは、その会話の声から5〜6人いることがわかります。もちろん英語などではないので、何を言っているのかまではわかりません。車が停まった時点で、私は音を立てないようにナイフを取り出しました。
以前襲われそこなった人は、それをちらつかせることで危険を未然にふせいだ人の話を教えてくれたのです。もっとも今は夜で、直接防御の役にしか立ちません。隣のテントのチャリタカも気付いていたのですが、出れば何が起こるか知っているので出ませんでした。もし出れば、少なくとも物をせびられます。最悪の場合、命をせびられるかもしれません。彼らの会話は何分もの間続きました。英語でないとはいえ、その口調から我々をどうするか話しているのがわかるのです。そして何を話しているのかが決定的にわかったのは、他の者が話すのを止め、若者と老人だけで口論しだしたときです。あきらかに若者が老人を止めているのがわかるのです。3分くらいでしょうか、二人の会話が不意に途切れ、さらに30秒ほどたってエンジンに火が入ると、車は東へと走り去りました。
そのまま15分位おとなしくした後チャリタカに声をかけると、いつも強気の彼もさすがにショックだったようです。アボリジニと一口にいっても、東側やタスマニアの彼らは白人と変わらない生活をしています。特に白人文化への歩み寄りは若者に顕著で、逆に老人たちはいまだに文化的生活になじめず、ただ国からの給付金だけもらって昔ながらの生活をしています。
ちなみにチャリタカは、この後1か月かけてタナミ砂漠横断に無事成功しました。翌朝記念写真を撮った後、もう路肩でキャンプはしないと誓い合い、それぞれ東西へ向かいました。私はその日のうちにカナナラ>ウインダムまで走りきりました。
以上、この件が大事にいたることはなかったとお思いの方々に、別途豪州におけるアボリジニの情報を書いておきますので、よろしければご参考ください。
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